あおの華流記

中国ドラマ感想記……というか"萌え"と"愚痴"を語る

幕間番外 将夜 戦乱の帝国 感想 考察 その6

 

 



チェン・フェイユー

ソン・イーレン

 

 

原題  将夜(全60話)

 

 

 

 

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ネタバレな感想なのでご注意!

結末まで感想ネタバレしてます。

キャラクター生死を含めネタバレOKな方のみどうぞ

 

 

 

 

 

 

そして残りのメインイベントは夏候との対決。



そもそも林将軍家虐殺の首謀者は衛光明だったはずだけど、死んじゃってるし、桑桑の師匠になって立場が微妙。

夏候は脅された上での実行犯と言うことだけど、自分の立場を守るためにあまりにもたくさんの人を死なせたと言うことは同情の余地無しか。

もっとも小物もすでに寧缺が殺したとなればこの人を許せる理由も無いもんね。

 



そもそも光明、夏候、親王の大きな間違いはまず、冥王の子を林将軍の息子と間違えていたこと→本当は隣家の娘桑桑

寧缺が動き出したときに、寧缺の出自を林将軍の息子ではないかと思ったこと。
このミスリードは見ていた視聴者にもそう思わせたと思う。
そうなった理由は「仇討ち」というものにある。
古今東西、基本的にどんな理由があろうとも殺人は許されていない。
法治国家であればたとえ大悪人が相手であろうと個人が殺していいことにはなっていない。
その例外が「仇討ち」
日本でも昔は許されていた。
けれどこれも誰もが出来るわけではなく、「血族」など近親者に限られていたし、もっと言うと、身分の高いものだけに許されていた。

 

 

「忠臣蔵」の忠臣たちでさえ罪には問われた。
将軍、貴族、高官。
許されてるのは身分のある者だけ。
なぜなら庶民の人権なんてないに等しい。
この話でもさんざん出て来たように、鷹がアリを喰うのは当然だからだ。

虫並みに軽い命なのだ。
はっきり言うと下々の者なんてお上にはどうでもいいことだし、誰がどう死のうと関係ない。
身分の高いものだけがお上に異論を唱えて、敵討ちを認めて貰えるというのが普通。
だから使用人の息子である寧缺が仇討ちを考えているなんて誰の頭の隅にもなかったわけだ。
誰もが寧缺は林将軍の息子だと勝手に思っていた。
これは陛下だってそうだろう。



見ているこちら側も無意識にそう思っていた人は多いに違いない。

けれど繰り返し流れる虐殺の映像をよく見ると、殺されている映像がほぼ使用人で、何度も映される人がたぶん寧缺の両親だと思う。
寧缺は初めから林家の人々……使用人まで殺されたと言っていた。

自分が林家の一族だとは一言も言ってない。

 

使用人の子供が仇討ちを果たすと言うのはきっとセンセーショナルなことで、本来なら許されないことなんだと思う。
今のようにみな平等ならともかく、明確に身分差があった時代は日本だって切り捨て御免だったのだから。
はっきり言って寧缺に実力があったとしても、ここまで上り詰めて名誉を手に入れていなければ不可能だったと思える。

当初の寧缺の目標。
"書院に入学"は実力はもちろんだけれど、身分や名誉を得て仇討ちをしなければならない理由だった気がする。

 

そして夏候は功績のある重臣のために法で裁いても死ぬことは無い(栄誉ある人には免責がある)
寧缺が選んだのは決闘。
どちらかが死ぬことで決着する。
陛下も許可した。



この時詔で陛下は林家の冤罪を認め名誉回復をしたけれど、当然ながらそこに並べられた名前は当主や親族、役職に就いている立派な名前がある者だけ。

 

寧缺は陛下に尋ねた。
名前が無いものや、覚えられていないほど下級なものは含まれないのですか?
私は林将軍の息子ではなく、門番と名も無い乳母の息子です。

寧缺は言う、

"敵討ちは王子だけに与えられるのか"
このことは陛下はもちろん当事者の夏候にさえ衝撃を与えた。
寧缺の母親は名前さえない女だった。
彼女が林将軍の息子の乳母だったために、寧缺はその息子と共に育った←映像のミスリードはここ

 

 

そして親友の卓爾は辺境の村の息子でそこの村人すべてが殺された。
卓爾と桑桑と自分は名も無く、力も無かったけれど、このためだけに生き延びてきた。

寧缺の訴えは陛下に聞き入れられ、すべての人のために今回の決闘を許された。



これは小説やドラマだからこそ許されたことで、これこそエンタメだね。

 

 

そして最終回の決闘へ。

満足できる素晴らしいシーンだったと思う。

雪と氷の景色の中で長い戦いは続く。

主役の寧缺が死ぬわけ無いのだから、わかっているシーンだけどやはりやきもきするよね。

 



 

 

夏候も自分の出自のことで、自分と妹を守るためになんでもやってきたと言うことなんだと思う。

彼もまた"生まれ"のことで、蔑まれてきたひとり。

生き方を選べなかったんだろうか、ということを思えば同情の余地はどうだろうか?

少なくとも、妹と陛下が出会ったときに考え方を変えればまた違った人生だったのかも知れない。

彼は自分以外を信じることが出来なかった。

そして寧缺のような"出会い"が無かったのも不幸だったかも。

せめて陛下のことを信じることが出来ていればね。



またそれも生き方と選び方の一つなのだから自業自得なのだと思う。

 

寧缺のことを桑桑が庇って負傷して、ここで終わりだし、ここから「冥王の子」へと続く。



なので、この記事はここで終わりです。

 

 

続編にがっかりなのは、少なくともワン・ホーディーは花男の道明寺や蒼蘭訣の魔王のキャラがあるのだから、そのような寧缺を演じることが出来たはずなのに、演出が変わったのか、弱気にさえ見えるキャラクターにがっかりして残念です。

俳優が代わってもキャラクターは引き継いでほしかったと、何年経ってもスタッフへの愚痴は止まらないブログ主です。

 

 

 

 

「慶余年」以上に長くなってしまいました。

寧缺と桑桑、そして書院の師姉兄たちが大好きです。

またいつか何度目かの鑑賞をしたいと思ってます。

 

長い記事を最後まで読んでくださりありがとうございました。

まだ見てない人が読んで下さっていたら、ぜひぜひ見て下さいね。

続編のワン・ホーディーくんも確認してみてください。

チェン・フェイユーの寧缺はもちろんのことです!

 

 

 

ブログ主  あお 拝

 

 

 

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