あおの華流記

中国ドラマ感想記……というか"萌え"と"愚痴"を語る

幕間番外 鎮魂 ドラマ&原作 感想・考察 その4

 

 

バイ・ユー

チュー・イーロン

 

 

 

 

 

 

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ネタバレな感想なのでご注意!

結末まで感想ネタバレしてます

キャラクター生死を含めネタバレOKな方のみどうぞ

原作についても触れていますのでそちらもご了承ください

……というかどちらかというと原作メインの記事です

すべてのネタバレOKな人のみどうぞ

BL注意!

  ボーイズラブの話題です。OKな人のみ閲覧してください

 

 

 

 

 

 

原作では早々に二人はカップルになってます。

このカップルになる時の葛藤……特に沈巍の苦悩が、まさにBL小説の展開ですので、是非とも二人の恋愛関係に興味がある人は原作を読んでほしいと思います。

沈巍にとっては1万年も思い続け、でも見守ることに徹して姿を表さずにいたわけです。

ドラマでは"1万年後に目覚めた"みたいな表現になっていましたが、原作では違います。

彼は1万年の間影から輪廻転生を繰り返す趙雲瀾の生涯を見守り続けていたのです。

彼はひとりで孤独なまま1万年"斬魂使"として過ごしてきました。

 

今回は異例中の異例で、彼にしてみたらこんなはずじゃなかった。

そこには陰謀が隠されてるのかもしれませんが、恋愛面で見てみると、知られてはいけないのに、知られたどころか愛されてしまった。

それに答えたいけれど、答えていいものなのかという苦悩が沈巍を逆に苦しめるのです。

 

 

 

 

 

原作によると斬魂使は涙を流せないそうで、苦しくても嬉しくても泣けない沈巍はその狭間で苦悩した挙句、趙雲瀾に抱きついて、その首に回した自分の手首に噛みついて血だらけになります。

驚いたのは趙雲瀾で訳もわからず慌てふためく描写があります。

 

ドラマでは設定が違うので涙を流すチュー・イーロンも美しくていいですが、原作の泣けなくてかわりに血を流す斬魂使さまも想像するだけで美しいです。

 

↓ドラマでの沈巍



 

恋愛小説の山場ですよ。

なんかすごい表現だと思いました。

泣けないから手首に噛みついて涙の代わりに血を流すって……

でもそれだけの表現でこちらが泣きたくなってきます。

沈巍が1万年の間どれだけの想いで居たのかと。

BL(恋愛)小説の醍醐味じゃないですか?

 

山場はこれだけじゃないですけど、最初のピークかな。

二人の気持ちが通じあう最高の場面なんですけど、ここまでで半分なんですよ。

このあとは互いに受け入れるので不幸が訪れるまではラブラブの幸せ状態は続きます←事件やトラブルはありますけど

1巻から2巻にかけて、二人の告白とカップル成立までの苦悩と葛藤が書かれています。

 

ドラマと同じでしばらくは斬魂使であることは2人だけの秘密です。

原作では仲間には親密になったふたりのことは趙雲瀾が"僕の奥さん"とか言い出して、周りがドン引きます(ご愛敬)

 

 

 

 

 

ミステリー重視のドラマの方は、中盤もオリジナルの事件が多くて、11話からまたオリジナルの事件が展開します。

ドラマでは早々から"燭九"なる地界人が暗躍しますが、原作にはこの人物は登場しない。

 

 

暗躍するのは"鬼面の男"つまりは夜尊ですね。

原作の方は早々からこの夜尊が出てきます。

夜尊がまた悪いヤツですけど美しいですよね。

 

 

原作とドラマがまたクロスするのは21話の趙雲瀾が視力を失うところです。

原作では2巻の中盤くらいからこの話になっています。

視力を失わせたのは"天眼"を開くことか目的のようです。

視力を失うのは一緒ですが、絡むエピソードは全く違うし視力を取り戻す過程も全く違う。

その辺は何も重なりません。

 

この物語はドラマと原作はほぼ別物なんですよ。

陳情令なんかが原作にわりと忠実だったのにくらべると、なぜこれをドラマ化したんだというくらい別物。

最初に書いたようになぜオリジナルとして制作しなかったのだろうと思う程です。

 

 

 

 

 

普段は疎遠の父と子ですが、趙雲瀾は父が何者かとすり変わっているのに割と早く気がつきます。

すり変わっているというよりも、たまに違う人格が入り込んでいるんですけど、これは設定が違うものの原作もドラマも同じです←ただ中の人物設定が全く違います

原作の方のこの人物の説明は神話から説明が必要になるので原作をお読みください。

 

ドラマは恋人同士ではありませんが、この中身の人物が趙雲瀾と沈巍が近づくことを好ましく思っていないのは原作と一緒です。

二人が近づくとよろしくない結果になるからです。

 

原作の古代の頃から崑崙(趙雲瀾)は鬼王(沈巍)を側に置くのは良くないと言われていたのです。

ドラマの方は物理的にもそこそこの距離ですけど、原作の方はこのとき既に二人はべったりな状態。

その分ドラマの方が表現がやんわりです。

 

1万年も片想いしてきたのにはそれなりの理由があるわけです。

そもそもここまでは沈巍は姿も悟られずに行動してきました。

趙雲瀾が何度生まれ変わっても影から見守ってきた。

今回こういう状態に陥っているのは沈巍にとっては予想外で計算外。

趙雲瀾は恋に浮かれていましたが、二人の存在は交わらないことが前提なのです。

1万年前に斬魂使が選んだ道がそうだったからです。

二人が出会えばその時は──という設定なので、この恋は始めから悲恋なのです。

 

悲恋で済めばいいのですが、それは世界に影響することです。

これは企みがあったとしか思えない現在の状態で、いつそこに気がつくのか?

ドラマはそのあたりは最後の方まで引っ張って、他の事件でお茶を濁していますね。

 

このあとは二人の過去が明らかにされる。

 

 

原作3巻の表紙↓古代神の頃の二人

 

 

続く

 

 

 

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